ちょっと変わった知人の話 前編
Twitter のタイムラインを見てると、とてもネガティブな話が多いような気がします。
給料の話とか、やられ損的なこととか、暴力に関することとか、個々人の正義のぶつかり合いとか。
いやまぁ、ぼくには関係ないし、いいちゃいいんですけどね・・・。
ただ何となく、ネガティブな話が少ない社会になればなぁ・・・と思うんですよね。
面白い話かどうか分かりませんが、ぼくには面白いと思える知人がいまして、今回はそんな面白い知人の話を書いてみようと思います。
ちょっと長いかもしれません。
あと、車には全く関係のないお話です。
本人が見ても分からないように、要所要所で事実とは違うところを入れていこうと思います。
それと、ずっと一緒にいたわけじゃないので、聞いた話が多いです。
ただ古い付き合いなので、まぁ色々聞いてます。
今にして思えばきっとアスペルガーというやつだろうな・・・と思います。
びっくりするくらい正直なやつなんですが、びっくりするくらいのことをやってのけたやつ・・・と言うか。
多分、普通の人には理解出来ないと思います。笑
別に真似してほしいとかそういうことではなくて、頑張れば何とかなるかな?と思っていただけたら、そいつも喜ぶかな?と思いまして。
って、まだバリバリ元気に仕事をしています。
お亡くなりになられた偉人みたいな書き方になってるかもしれませんが、そういうわけではありません。笑
そんなアスペルガーな知人は今は社長です。
20代で独立して会社をつくってました。
個人事業主を1年経て会社化したという感じですね。
「毎日寝るの夜の3時はすぎてるで。」と眼を輝かせて言ってました。笑
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その知人をA君としましょうかね。
そのA君は、ぼくが憶えてる限り、小中学校で宿題をしたことがありません。笑
毎日、学校で怒られてたと思います。
今にして思えば可哀想な時だったなと思います。
本人は何で怒られてるか分かってるような分かってないような感じでした。
真顔で、「何で宿題しなきゃいけないのかな?勉強も宿題の内容も分からへんねんな。」と言ってました。
まぁそんな感じなので、勉強ができるわけでもなく。
そんなA君は、何と大学に行ってるんですよね。
別に勉強が出来たわけではありません。
取り立てて運動神経が良いわけでもありません。
何か一つのことをさせると、そればっかりに没頭するという特性が備わっていたせいか、スポーツで高校も大学もそのまま進んでしまい、終いにはプロの世界まで行ってしまったんですよね。笑
厳密にはプロという制度はないのでアレなんですが、しかし、そのスポーツで飯を食うまで行ったんですよね。
スポーツの世界ってよく分かりませんね。
派手な世界ばかり取り上げられますが、そうでもない地味で目立たないけど、上手い選手や強い選手っているもんなんですよね。
まぁでもはたから見てたら面白いもんですよ。
ほんと、努力家なんだか、自由人なんだか、よく分からないです。
毎日夜遅くまでトレーニングしてるんですね。
「しんどくないん?」と聞くと、「楽しいで。」とはぁはぁ言いながら言ってました。笑
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小学校の時のこと。
小学校の時、毎日宿題もせず、だからと言って遊びまわるわけでもなく、家に帰ったら野球のグローブとボールを持って家を出て行って、親が帰って来いというまで野球をしてたと思います。
小学校3年生の時に始めた野球、5年生になる頃には大阪で有数のプレイヤーになってたんじゃないかな?
野球は途中でやめて別のラグビーの道に進むことになるんですが、その道でプロまで行ったんですね。
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中学校の時、よくバカにされてたように記憶しています。
まぁ色々ズレてましたからね。苦笑
ただ、A君はスポーツが出来すぎてたので、色んな意味で負け惜しみに近かったんかもしれません。
「おれ、アホやから仕方ないで。」と、ちょっと悲しそうな顔して言ってました。
野球をしてた時の指導者に小馬鹿にされたような感じで接せられたと言ってました。
そのせいか、A君は野球が嫌いです。笑
不良やヤンキーは少なくともA君に一目置いてたこともあり、A君は不良やヤンキーに対してはとても優しかったです。笑
それと、弱いものいじめとか、いじられキャラをいじってる人が嫌いなので、いじられキャラや物静かな同級生にも物凄く優しかったです。
なので、中途半端なレベルでイケイケ感があるけど、大して強いわけでもない体育会系が嫌いです。笑
嫌いなタイプにはかなりキツイあたりをしてましたが、正義の塊のようなA君だったので、誰も責めることはなかったように記憶しています。
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高校にはラグビーで進学することになるんですが、その高校、全国でも十分に通じる学校だったらしく、入学直後、A君は一番下手だったようでした。
入学して直後にテスト的な感じの対外試合があったようで、その試合でボロボロにやられたっぽかったんですね。
その日を境に、先輩からいじめられることになったようなんですね。
そして、A君は脳内で出血したとかで、緊急の手術をすることになります。
高校1年の秋。
しかし、A君は一言も愚痴を言ってなかったと思います。
頭に一生消えない傷が出来たけど、「これは勲章やで。」と真顔で言ってました。笑
因みに、親御さんはA君の意思を尊重して、「後遺症が残らないなら、そのまま部を続けさせてください。」と顧問に言ったと聞きました。
A君は「この程度で辞めるわけないやん!」と真顔で言ってました。笑
この2年後、A君の努力が実り、メンバー入りし、その後の道が拓け、大学に進学することになります。
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A君はスポーツの世界が大好きだと言ってました。
本人曰く「やったらやっただけの結果が出る。」だそうです。
A君は、基本的にズレてます。笑
周囲で誰がサボってようが、誰が頑張ってようが、関係ないみたいです。
むしろ、同級生がサボってると喜んでたような気が。
「あいつがサボってるということは、俺にチャンスが来る!」と言って喜んでました。笑
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結局、怪我でラグビーを引退することになります。
20代半ばくらいだったかな?
その後、心機一転、営業会社に入社することになりました。
本人曰く、「おれは何をやっても結果を残せるから、どうせならスポーツとは全く関係のない世界に行って結果を出す。」と豪語してました。笑
入社から1年半後、文字通り、営業トップを取ったと聞きました。
本人曰く「仕事の世界はいいで。みんな残業を嫌がるから、みんなが嫌がることを引き受けてたら自然と仕事が集まってん。」だそうです。
謙虚なんだかそうでないんだか、よく分かりません。笑
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A君は2年でこの会社をやめたようでした。
上司に嘘をつかれたことがどうしても許せなかったようです。
A君は、「嘘をつかれたことが許せず、直属の上司から社長までの5人に直談判をしに行ってきた。」と言ってました。笑
んで、どうしても許せなかったようで、社長との話が終わった直後、辞表を提出して、辞表を提出した日に髪の毛を茶色に染め、次の日出社したと言ってました。
髪の毛を染めて出社した日、上司から社長まで、みんなにめちゃ怒られたようだったんですが、一切、気にも留めず、結局、退職まで髪の色を戻すことなく出社を続けたと言ってました。
因みに、転職をするわけですが、髪の色を戻すことなく3社の面接を受け、3社とも通るという、なんとも面白いことになります。笑
こういう言い方をすると怒られるかもしれないんですが・・・基本的にはアホなんだと思います。笑
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まぁ色んな逸話(?)があって、聞いてるとにわかに信じられないんですが、姿や行動や結果を見てると噓にも見えないんですね。
長くなったので、とりあえず前編として一旦締めたいと思います。
後編は、社会人になってから現在までみたいな感じで書いてみたいと思います。
A君は、その後もう一社転職するんですが、そこでも2年で辞めてしまい、仕事が長続きません。
辛抱強いんだか辛抱弱いんだか分かりません。笑
まぁとにかく、変わったやつという感じです。
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後編に続きます。
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