横断歩道がない道路を横切って事故・・・誰が悪い?

横断歩道がない道路を横切って事故・・・誰が悪い?

先日、なんだか理不尽な交通事故に関するニュースが目に飛び込んできました。

中学3年生の女子生徒が、横断歩道のない道路を渡っている途中、車に轢かれて亡くなられたと。
車に乗っていた方は、逃げもせず、するべきことをしたけど、現行犯逮捕ということで。

理不尽この上ない感じがしますね。

しかし、警察はほんとにバカですね。
横断歩道がない道を渡って車に轢かれるって、見方を変えると、ルールを守らない当たり屋みたいなことをやる人間を庇って、飯塚幸三みたいな大馬鹿野郎のことも庇うという、どうしようもない、日本の構造が垣間見える感じがします。
ルールを守って走行してた人だけが損してる感が否めません。

ほんと、日本の警察はクズだなぁと思います。

この事故について色々と考えてみたいと思います。

この事故、一連の流れの中で誰が悪い?

一番悪いのは、中学3年生の女子生徒の親です。
どこかでも書いたかもしれませんが、今の日本のあり方として、未成年の行動の責任は全て親にあります。
ですので、金銭的な損害が発生しても、親が全て負担しなくてはならない制度になっています。

子どもの教育や、行動規範をどのように教育していたかはしりませんが、時速60km/hは超えてるであろう車がびゅんびゅん走行している道路を無防備に渡ることを、悪としない行動の果てが、この結果ということだと思うんですね。

車がどのくらいのスピードで走行していたのかは分かりませんが、仮に100km/hで走行してたとしても、横断歩道のない道路で人を轢いてしまうことと、スピード違反は紐づきません。
”スピードを出していたから人を轢いた”ではありません。
”人が出てくると思ってない道路に人が出てきたから人を轢いた”が正しい解釈です。
そもそも、道路を渡ること自体が、間違いなんですね。

今回、車に乗って運転をされていた方は、中学3年生の女子生徒に人生を台無しにされたと言っても過言ではないんですね。

感情論を抜きにして、色々考えますと、中学3年生の女子生徒の親は、車を運転していた氏に対しても、賠償する責任があってしかるべきだと思うんですね。

車に乗るということは、それなりの責任がついてくる

ただし、今の日本の道路交通法の解釈には、「車に乗るということは、それなりの責任がついてくる」という解釈もあるようです。
仮に、自分は完全にストップしてる時に後ろから突っ込まれても、過失割合が「0」にはなりにくく、”止まってはいけないところで止まってた可能性”を追求されるなど、乗っている以上、何かしら事故の責任はある・・・という考え方なんですね。

ただ、昨今は、ドライブレコーダーが出てきたおかげで、状況証拠が残り、過失割合を決める上で重要な証拠が残る社会になってきたので、そういうケースにおいては、正当な判断が下されることはありますが、証拠がないと、人は基本的に嘘をついて逃げますからね、なかなか難しいですね・・・というお話になるのかなと思います。

というのであれば、まずは飯塚幸三を逮捕しろよ、、、と個人的には思っています。

どう考えても轢いた方が悪い

こういう事故で「どう考えても轢いた方が悪い」と言う方は、どういう解釈でそのような思考になるのかをお聞きしたく思うんですね。

  • スピードを出しすぎたから?
  • 走行する車線が悪かったから?
  • 理屈じゃない、女子生徒がかわいそうだから?
  • 女子生徒の親が不憫だから?

もはや、理由は何でもよくて、”とにかく、許せない!”みたいな、ヒステリックな状態になってるような感じがします。

昨今の社会、勉強は強制されませんし、しんどいことや理不尽な要求は断ることが出来たりして、弱者を守るルールだけは確立されつつありますが、教育が足りない人は、”やっていいこと”と”やってはいけないこと”の区別がつかない人間になってしまいます。
ですので、教育制度が成り立ってない国の経済は発展しないのです。
勉強をしないと、人に嘘をつくことを厭わなくなり、自分の見栄のためなら何をしてもよくなり、自己都合の解釈しか出来ないようになっていきます。
学が足りてない人がカネを持てばカネに溺れますし、学のない人に肩書きを持たせると肩書きをひけらかすようなことをして人を敬うことをしなくなります。
だから、古い体質のコミュニティでは、年功序列で偉そうな顔をする馬鹿者が出てくるわけですね。

極論ですが、教育がきっちり行き届いていれば、(宗教の教祖様の教えのためならば、)人を殺すことすら、なんとも思わなくなります。

※ここでの勉強は、必ずしも学校の勉強だけを指しているわけではありません。

弱者を守るルールというのは、人が疲れた時に休む上では物凄く重要なルールにはなりますが、人を甘えさせることになって、時に邪な部分を助長させることにもなるルールなんですね。

ですので、そういった都合のいいルールに振り回されるのではなく、物事をきっちり考えて判断が出来ることが出来るようになって、その上で自制するために、常に頭を使う訓練はしなければいけないですね・・・と思うんですね。

締め

そんな諸々を思いました。

ただ、今更何を言ったところで、亡くなられた方は戻ってこなくて、加害者の方の立場が変わるわけではありません。
何を言っても、誰が悪くても、”後の祭り”状態ですね。

まぁ、あれこれ書いてみたモノの、ちょっと考えてみたんですね。

近所に似たような道があるんですね。
時速60km/h〜70km/hで走行してるところ、向こう40m〜50mくらいで人が突然道路を渡ったらどうするかなぁ?と想像したんですが、ぼくは視力がいいので、すぐにブレーキを踏むだろうなぁと思ったんですね。

もし、ノンブレーキに近い状態で当たってたとすると、運転手は前を見ずにスマホをチラ見したりしてた可能性が高いかなと思ったり、朝だったりすると電話しながら仕事の確認をしてたりしたのかなぁ?とか、そんなことを考えました。

横断歩道がないというだけで、車の運転手はいきなり道路を人が渡るという想定をしませんからね、そんな状況で(運転の)集中を欠くと見えるモノも見えないよなぁ・・・と思いました。
集中を欠く運転をするのは、もちろん、宜しくありませんし、それは刑罰の対象ではありますが、それと人を轢く要因とは別問題かなとも思うんですね。
そもそも、いきなり飛び出してくるというのは、線路に飛び込む人によく似るのかなぁ?なんて思ったり。

状況証拠などが出揃った上で話をしているわけではないので、明確には言い切れないことも多いですが、そういう諸々を考えました。

誰が悪いかは分かりませんが、ルールを一瞬無視するだけで、取り返しのつかないことになった・・・ということだけが残った感じですね。
辛いですね。

・・・・・・・・・・

最近、ぼく個人的にバイクで行くツーリングの機会がめっきり減りました。
ツーリングの頻度だけを見ると、月に一度か二度あるかないか・・・です。

その分、サーキットを走ったり、オフロードコースを走行しています。
とても安全で楽しいんですね。

というのも、バイクに乗っていると、運転手をよく見るようになります。
運転手を見てると、そもそも前を向いてなかったり、スマホを片手に持ってたり、斜に構えて片手で運転してたり、見てるとめちゃ怖いんですよね。
集中してないというか。
運転スタイルは人それぞれあると思うのでアレですが、少なくとも、そういう車の前後左右は走りたくないんですよね。
ふらふら運転してる車の前後左右でバイクに乗ってたら、”当たっても仕方ない”状況かなと感じるんですね。
あと、後ろから猛追してくる車もありますし。
とにかく、まぁ不安定この上ない一般道かなと感じるんですね。

まぁそういうことも許容される社会なので、事故っても、身を守れるようにはしときたいですね、、、ということで、この記事を締めさせていただこうと思います。
取り留めのないお話でアレですが、今後、気をつけて車もバイクも運転しようと思います。

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